Weekly Matsuoty 2004/02/09
構造化の欲求
 
社会心理学者のエーリッヒ・フロムは、 彼の代表作の一つ「生きるということ」 (原題:"To have or to be" )において 原題からわかるように、人の生き方を 「持つこと」と「あること」の対比で論じ た。

 言うまでもなく、「持つこと」は、現代 社会では、さまざまなモノを所有すること が生きる目的になってしまっている点を指 したものである。一方「あること」は、自 分自身の存在そのものを中心に据えた生き 方だと解釈できるだろう。

では、「あること」とは具体的にはどんな 生き方か。そのキーワードは「時間」、そ して「他者との関係」だと思う。結局のと ころ、存在しているとは、生まれてから死 ぬまでの一生の「時間」のことであると言 えないだろうか。また、自分の存在を真の 意味で自覚できるのは、他者との交流を通 じてではないだろうか。

フロムが生きた時代は、まだまだモノ自体 が不足していたため、所有が目的化したこ とは、至極当然だった。しかし、現在は生 きるための最低限のモノは、ほとんど手に 入れてしまっている。

もはや、多くの人々(いわゆる先進国に ついてだが)にとって、所有することは あまり生きる意味を見出せないものになり つつある。

一方で、生きる意味としてより強い傾向を 示すようになってになってきたのが、 「構造化の欲求」である。これは自分の時 間を空白にせず、友人と楽しく語り合った り、興味のあるスポーツに没頭したいとい う欲求を意味する。

この欲求で大事な点は、社会における他者 との関わりの中で、自分の存在意義 (役割)を見出そうとするものであること だ。前述したように、自分の存在は他者と の交流を通じて相対的に自覚されるものだ からである。

したがって、「構造化の欲求」が行動の原 動力となっている時、「モノ」は所有する ために購入されるわけではない。他者との 時間を良いものにするための媒介にしか過 ぎなくなる。

今の時代、売れる商品づくりのためには、 「構造化の欲求」に留意する必要があるだ ろう。

*「構造化の欲求」は、交流分析の創始者  エリック・バーンの言葉
 
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