Weekly Matsuoty 2003/03/04
キャリアの布を織るということ
 
昨年、「キャリア」をテーマとする連続講義 (全11回)に参加していたが、年末の講義終 了後も参加者の方々で自主勉強会を開催して いる。

自主勉強会の当面のテーマは、参加者一人ひ とりが辿ってきた仕事人生、つまりキャリア・ ヒストリーを1枚のチャートにして発表すると いうもの。

参加者の方々は、企業の人事・人材開発関連 の部署の方や、人材関連サービス企業の方な どが大半を占め、年齢も20代後半から50代ま でと幅広い。人によっては、30年間にもわた るキャリア・ヒストリーを作成することにな る。

さて、先日の勉強会では、40代前半の方の キャリア・ヒストリーを聞かせていただいた。 この方(仮にAさんとする)は大手企業で活 躍されている優秀なビジネスパーソンである。

ただ、そうはいっても、Aさんは決して有名 な方ではないし、失礼ながら、まだ一介の管 理職に過ぎない。ところが、大学卒業後、今 の会社に入社してからの、約20年間余りのお 話をじっくり聞かせてもらうと、実に興味深 く思わず引き込まれてしまう。

例えば、スタッフとして高い評価を得ていた にも関わらず、営業部門では、新人と同列で 一から自分の能力を証明しなければならない 立場に置かれたこと、突然の転勤や異動で、 単身赴任を余儀なくされたことなど、Aさん のキャリア・ヒストリーにはたくさんのドラ マが詰まっている。

Aさん自身、自分のキャリアを振り返ること で、改めて自分が大切にしてきたことがわ かったり、自分に対する自信が深まったりと、 いい機会だったそうだが、参加者の方々も、 Aさんの話を聞きながら、それぞれのキャリ アを重ね合わせて、いろいろと新たな発見や 気付きを得ることができたようだ。

ところで、Aさんの話から私の中で広がった イメージがある。それは、「キャリアとは、 一枚の布を織るようなもの」というものだ。

キャリアとは、生きるという人生の中での営 みである。生きることは、生まれてから死ぬ までの「時間」をどう使うかということに帰 結すると思う。この意味で、「時間」とは、 タテ糸である。

一方、Aさんだけでなく、誰もが「運命」や 「宿命」と呼ばれるものを持っている。これ らは自分ではコントロールできず、身を任せ るしかない。これは、「ヨコ糸」である。

「時間」というタテ糸と、「運命・宿命」と いうヨコ糸によって、布は勝手に織られてい く。しかし、このままでは平板な白い布のま まだ。

そこで、この布に、「自分の意思・自分の選 択」という色のあるヨコ糸を加える。運命に 翻弄されながらも、自分の意思や選択の余地 は常に残されている。その部分は、運命に よって決められたものではなく、自分で自由 に創造できる部分である。

そして、自分の意思・選択という色のヨコ糸 が加わることによって、世界にひとつしかな い、自分オリジナルの図柄(デザイン)が布 に織り込まれる。これが「キャリア・デザイ ン」が施された人生である。

Aさんが一枚のチャートで見せてくれたのは、 Aさん独自のキャリアの布(まだ織ってる途 中だけど)だと感じたのである。彼も組織の 一員として、あるいは社会の一員としての運 命や宿命を受け入れつつも、しっかりと自分 の意思で、自分の生き方を創造してきていた。

「なるほどね・・・では、どうやってキャリ ア・デザインしたらいいのかな?」

ここまで読んで、こんな疑問が生まれた方 がいらっしゃるかもしれない。

この疑問に対して、まだ私には確信の持てる 回答はできない。ただ、少なくとも自分が 織っている布の上に、どんな図柄を展開した いか、という明確なイメージを持つことが理 想だとは言える。ただし、明確でない、漠然 としたイメージであったとしても、躊躇せず そのイメージを織り込むことを始めるべき だと思う。明確なイメージが描けていないの だから、へんてこなデザインになるかもしれ ない。でもとりあえず形にすることを通じて、 自分が本当に描きたいデザインのイメージが 明確になってくるだろうから。

織り上がった過去の布にさかのぼって、デザ インを消したり、修正したりすることはでき ないが、今から未来に伸びる布は、まだまっ 白で、いくらでも自由にあなたの意思・選択 という色を織り込むことができる。
 
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