Weekly Matsuoty 2002/08/22
セレンディピティ
 
 “NYには、「セレンディピティ」というカフェがあるよ”と、以前外資系企業にいた時、米国本社から来ていた同僚から教えてもらった。ずいぶん前のことだ。

 このちょっと神秘的な響きのある言葉は、実際、その意味もいくぶんか神秘的である。
 「セレンディピティ」とは、探してもいない貴重な、あるいはすばらしいものを見つける才能のことで、辞書には「偶然に幸運な予想外の発見をする才能」と定義されているそうだ。

 偶然の発見に「才能」が必要とされるのかどうか、多少疑問ではある。ただ、これまでの文明の発展には、数々の偶然の発見が貢献していることには違いない。
 例えば、マラリアの特効薬は、「キニーネ」であることはご存知だと思うが、これは、ペルー産の「キナノキ」という木の樹皮のエキスである。いったい、どこの誰が、キナノキのエキスがマラリアに効く、ということを発見したのだろうか。現代の製薬会社なら、片っ端からいろんな自然界のものを試すということができるだろうが、少なくとも17世紀頃から「キニーネ」は使われていたのである。

 この発見については、ペルーインディアンに伝わる伝説がある。マラリアによる熱でふらふらとなった一人のインディアンが、山の中をさまよっていた。そのうち、よどんだ水溜りを見つけ、その淵に倒れこんでその水を飲んだ。ひと口飲んで見ると、水が苦い。よく見ると、そばにあった、当時は毒だと言われていたキナノキの樹皮で汚れていることがわかった。彼はこれで死ぬかも知れないと思った。しかし、喉の渇きをいやすことが最優先だった。彼は一気に飲んだ。でも命に別状はなかった。それどころか、逆に熱が下がり、元気が戻ったのである。彼は村に戻り、この奇跡的な回復のことをみんなに話したと言う。それから、ペルーのインディアンは、恐ろしい熱病(マラリア)にかかったら、キナノキのエキスを飲むようになった・・・

 薬にはこんなセレンディピティの例が実に多い。「ペニシリン」もそうだし、最近では「バイアグラ」もそうだ。

 こうした、本当のセレンディピティは、やはり本当の偶然であり、神に感謝するしかないだろう。ところが、「擬セレンディピティ」という別の言葉もある。これは、もっとわかりやすい言い方をすれば、「セレンディピティもどき」と言える。

 例えば、木からリンゴが落ちるのを見て、万有引力を発見したニュートン、風呂で水があふれるのを見て、「ユーレカ」(わかった)と叫んで裸で飛び出したアルキメデス。(アルキメデスの原理を発見)

 彼らは偶然の発見というより、ある現象をきっかけにずっと探し続け、考え続けていた結果、ついに答えを得た。だから、「セレンディピティもどき」なのだが、木からリンゴが落ちるという、日常誰もが目にする現象から、「万有引力」の存在を洞察するというのは実はとても驚くべきことだ。

 さて、こうした発見をした昔の偉人達が言ったことがある。それは、
「発見は待ち受ける者の心構え次第だ」
ということだ。つまり、とことん考え詰めた後で初めて、なにげないことが引き金となって新たな発見を得るのである。そうすると、少なくとも「セレンディピティもどき」には「考えつづける」という才能が要求されることがわかる。

 実はこのことって、野口悠紀雄氏の書いた「超」発想法でも言っていることだった。斬新な発想は勝手にはやってきてくれない。求め続け、考え続けていることが大切らしい。

<参考文献>
 ・セレンディピティ R.M.ロバーツ著、化学同人
 ・「超」発想法 野口悠紀雄著、講談社
 
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